
はじめに日頃より京都産業大学体育会男子ラクロス部 VIGOROUS にご支援・ご声援を賜り、誠にありがとうございます。OB・OG の皆様、保護者の皆様、ラクロス関係者の皆様、大学関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。
キョロこと開主から紹介に預かりました 4 回生 AT の山本龍央と申します。
まず、ブログを回してくれキョロの紹介からさせていただきます。
キョロは軽く触るだけで折れてしまいそうな体から考えられないショットを放つ男です。
そして、お酒が入るとドン引きする程の横揺れをするパリピでもあります。
次の飲み会も期待してます。
今年は本当にキョロとせーやに助けられました。癖者揃いの仲間もまとめる時には、基本的に3人に相談して方向を決める事が多かったです。この2人は新チーム始動時『おれは、目標に突っ走りそれをサポートするのが俺らの役目』と言ってくれ、その言葉通り手が回らない部分や熱が入り切らない時はサポートしてくれました。ありがとう。
さて、本題に入ります。
まさか自分達が2部4位で、最速で引退するとは思ってもいなかったのですが、いざ引退すると毎日昼まで寝れ、練習中にガミガミ言わなくて良いし、夏はサウナより暑く、冬は雪かきが必要な程大荒れする茶屋に行かなくて良くなり清々しています。
のはずなのですが....
あんなにしんどく、辛いラクロス漬けの生活だったのに、たまにラクロスしたいと思ったり、今だにラクロスの動画を見たりしている時があります。それだけ濃い4年間だったんだと改めて実感します。
前置きはこれくらいにして、僕の苦悩とメッセージをブログに綴りたいと思います。
まず、この4年間で、僕は肉体的にも(主に上半身)、そして人としても大きく成長できました。
その中でも、最も成長し、これからも大切にしたいと思うのは
「目指したい姿を明確に持つ事」
そして、
「過程を追求する力」です。
これは、僕の師匠であるコールスローに教えられた「結果よりも過程が大切だ」という言葉からきています。
新歓の景品につられて入部した僕は、2回生までは心からラクロスに熱中していたかと言われると、正直そうとは言えません。
理由をつけて練習を休み、遊びに行ったこともありました。
ですが、3回生で副主将になり、嫌でも責任感が生まれました。
1つ上の先輩方は頼もしかったので、今年は組織も結果も大丈夫だろうと思う一方で、自分が4回生になった時のチームの姿について良く考えるようになりました。
来年はスキルも組織力も何もかもが足りていないということを理解はしていた。
ただ、その時自分が試合に出るために、食らいつくために、必死で頭では分かっているのに行動に移せていなかった。
そして、いざ主将になると何から手をつけるべきか、どういう組織運営をするか等右往左往していました。
そこで、選手としてはベスト 10 に選ばれる程の選手に、主将としては親しみやすく、リスペクトされ、慕われる主将像を思い描きました。
そのために、まずはとにかく後輩と話す機会を作りまくりました。
練習後シャワー浴びて、てつやチルトと戯れたり、サンダル隠したり、ジュニアとえあけいを無理やりシュー練参加させたり、壁打ちしてるやつの横に行って一緒に壁打ちしたりと、とにかく常に誰かといるのを心掛けていました。
アフター終わってんのにまだりおさんおるって何回もチルトと役満に言われたけど、半分くらいは一応考えてやっていた事です笑
そして良い組織を作るために、「4回生から変える」と決意しました。
僕ら同期は何をする時も集団で固まり仲がとても良い学年です。
僕も本当に大好きな同期です。
ですが、仲が良すぎるが故に全てが中途半端で、他責にし、互いに傷を舐め合い、なにかしら理由をつけて逃げ、笑い話にするそんな集団でもありました。
良い組織は、互いにリスペクトを持ち切磋琢磨し合うものです。
頼りになる背中をしてない。後輩にびびって強く言えない。やろうと決めた事を継続できない。
だからこそ、レスポンスの声や盛り上げ役は、4回生からやれと言い続けた。結局はせーやとゆーきくらいしか最初から最後までやり続けなかったが
レスポンスと言う言葉は、間違いなくチーム内で深く浸透したと実感しています。
来年も継続して下さい。発信する側は、反応があるだけで本当に救われます。
主将は立場上人に厳しくしなければいけない事が多い。
人に厳しくすることは正直気持ち良いものではありませんでした。
層が厚くない京産だから、きつく言いすぎると腐る奴がいると思ったり、
シンプル嫌われたくないと思ったりと。
『深い思いやりから出る言葉を振り撒きながら、日々を過ごす。これが人を動かす秘訣。』
ある本で読んだこの言葉がこの時の自分に刺さりました。
それから部のメンバーは自分の家族のように考えた。
だから、自分なりに後輩との1対1の対話では、しっかり正面から向き合う事を意識し、相手の気持ちもできるだけ汲み取ったつもりです。
それでも熱が入るとつい厳しい事を言ってしまう。
んー難しい!何人かの後輩達は理解してくれていたはず!
ただ4回生には僕という人間を分かっていると思っていたからこそ、強い言葉を何回もぶつけました。特にせーややえざにはキャパオーバーしてストレスの捌け口にしてしまったと思います。申し訳ない!特にえざには、しんどい時とかご飯行ことか誘ってくれて、すごく支えてもらいました。もっとコミュニケーション取れたなぁと少し後悔もあります。でもそれが心の支えでもありました。ありがとう!
そんな自分への反省と覚悟の中で、強く意識するようになった事は
行動なき指示に、信頼は宿らない。
口先だけの人間に人は着いてこない。
そして、それは自分の理想ではない。
最後の1年は、
無遅刻無欠席
練習後のアフターシュー練
週3日以上の筋トレ
風呂上がりの 15 分のストレッチ
主将業務 等々
人にやれと言った事以上の事をやり切りました。
しかし、ハードワークからか、3年の後半に発症した腰椎すべり症を抱えながら練習を続けたり、リーグ戦初戦の工繊後に右足の種子骨が疲労骨折したりと、かなり満身創痍のリーグ戦でした。
それでも出来るだけ、みんなと練習するべく整骨院に通い詰め、じょうさんには負担のかからないようにテーピングを巻いてもらったり、我ながら漢だったなと思います。
その甲斐あって、練習試合やリーグ戦では、1 試合 3 点以上の固め打ちが出来るようになるなどスキルも上がりました。
哲太や圭一のような関西でもトップクラスの選手達相手にも小指くらいは出るようになったかと。
あれこれ言いましたが、自分は元々こうすると決めると、融通が効かないわがままな the末っ子気質な性格です。
あいつは違う考えを持っているけど、自分の方が絶対に正しいと思い、どうにか自分の考えに持っていこうとしていました。
しかし、それは漠然としたただの思い込みで、実際は単に意地になっていたのだと気づきました。
本気でなりたい自分になろうとする事で、自然とそれまでの過程を逆算するようになっていました。
どんな人間も何かの点で、自分より優れていると思う。
そのために人の意見も真剣に聞き、全部に自分の成長のために取り込んでやろうと考え方も変わりました。
当初持っていた、なりたい姿になれたかは分からないですが、間違いなく明確な理想像を持ち、そのための過程を追求したからこそ、この1年は自分に圧倒的な自信をつけてくれたと言えます。
4年間での一番大きな収穫です。
とは言っても周りに評価されるのは、結局は結果です。どんなにクソな過程でも結果が良ければ評価される。
それでも、ただ結果を出すために最大限の過程を踏む事が大事なんじゃないかな。
僕達の世代の最終結果は、リーグ4位というなんとも言えない結果ですが、終わってから考えると正直耐えた!という思いが大きいです。
なかなか勝てなかった前半には、色々良くない結果も想像はしていました。
ですが、ここ数年入れ替え戦で負けてシーズンが終わる事が続いていたので、勝ちでチームを締めくくれたのは、昇格こそは出来ませんでしたが、京産の歴史が一歩前進したのではないかとポジティブに捉えています笑

最後にみんなへのメッセージで締めます。
先輩達へ
本当にお世話になりました。ラクロスはもちろん私生活でも、すごく可愛がって貰いました。辞めたいって相談した時も、真剣に向き合ってくれました。引退して暇になったので、またご飯連れていって下さい!お誘い待ってます(笑)
後輩達へ
君たちには、ほんま1年間頭悩まされました(笑)練習遅刻するわ、愚痴は一生出てくるわって感じで、なんやこいつらって思ったことも多々。でも、試合になると頼もしくて、去年リーグ戦経験してない奴らばっかやのにみるみるうちに成長して何回も助けられました。
1回生は、毎回声張り上げて応援してくれてありがとう!向上心高い君らなら、来年レギュラーに食い込めるはず。
2回生は、特に OF メンバーは僕が結構多く関わったメンバー多いし、クソ程生意気やけど、可愛い奴らでした。DF のみんなも腐らずよく頑張ってる。ピンガ達が1部に上げて 1部で戦う姿が楽しみです。
3回生は、ポテンシャル高いくせに自主練しない奴らが多くて、もったいないと思ってたけど、多分陰で努力してるんやろな。問題児多いけど、実力多いメンバーが多いから、絶対 1 部上がれるって思ってる。後1年悔いなく走り切って下さい。後、マネージャーには優しく!
コーチ陣へ
1年からりくとと一緒に問題児筆頭だったと思いますが、見捨てる事なく、試合でも使って頂きありがとうございます。おかげで、少しは人間的に成長出来ました。最後の1年もっとコミュニケーション取れたなって少し後悔はありますが、来年はもっと密に選手達と接してあげて下さい!羽尻さん奥様を大切に(笑)
同期へ
ずっとめっちゃ厳しい事言ってごめん。それやのに最後まで仲良くしてくれてありがとう。
カイトはずっと自分に甘いし、小幡はすぐ泣くし、香西は 150 円でブチギレるし、ゆーきは五月病で大学行かんかったし、翼は急に叫ぶし、ベンプレは捻くれてるし、りくとはずっと暴君やし、小寺は強烈な punch guy やし、かいしゅは横揺れするし、せーやは時空ダッジで怪我するし、えざとはよー言い合いするしって感じで、ほんま個性の強いやつらしかおらんかった。でもそんなみんなとおると、ほんまに毎日楽しかった。安里さんも言ってたけど、一生付き合っていく仲間ってのは多分お前らなんやろなぁ。臭い事言ったけど、とにかくありがとう!みんな好きやで!これからもよろしく!
最後に両親へ
これまで多方面での支援本当にありがとうございました。自分の身勝手をいつも応援してくれて、味方でいてくれて嬉しかったです。試合もほぼ毎試合観に来てくれて、口では見にこんで良いって言ってたけど、なんやかんや来てたらやる気出てました。来年から実家かもしらんけど、またお世話になります。必ず恩返しします。
長くなりましたが、多くの方々に支えられた幸せな 4 年間でした。ありがとうございました!
楽しかった!
今度とも京都産業大学体育会ラクロス部 vigorous にご支援、ご声援のほどよろしくお願い申し上げます。
「我々思う、ゆえに我の強さあり」
25 年度 主将 山本 龍央


